更新日:
2019年11月07日
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恵比寿『Le Coq』のシンプル極まりない厚切りスモークサーモンに潜む、完璧な旨み
席数わずか12。夫婦だけで営業する恵比寿『Le Coq』は知る人ぞ知るフレンチの名店。料理のプロにも一目置かれるシェフ、比留間光弘さんの「スモークサーモン」は前菜にしてスペシャリテと呼びたいオンリーワンな一品です。……一流の料理人が自ら愛用する3つの道具へのこだわりを語り、料理への哲学を詳らかにする連載『料理のプロの三種の神器』です。(全3話・前編/2019年11月7日公開)
- 石黒由紀子
- エッセイスト。日々の暮らしの中にある小さなし...
大切な人とずっと長く通いたい——そう思わせるフレンチ・恵比寿『Le Coq』。席数12。シェフの比留間光弘さんと、サービスを担当する奥さま、真由美さんのふたりだけで切り盛りする小さなレストラン。基本に忠実、でも独創性あふれる比留間さんの料理には、味にこだわりを持つ食通なファンが多い。料理と道具のはなしをじっくりと伺った。(全3話・前編)
シンプルすぎる「スモークサーモン」につまった『Le Coq』のこだわり
JR恵比寿駅を出て、渋谷方面に歩く。恵比寿西1丁目交差点を越え、「あれ? そろそろあるはずだけど……。道、間違えたかな?」、そう思いはじめる頃『Le Coq』と書かれた、小さな看板が見えてくる。
ドアを開けて感じたのは「清められた空気」。上品な静謐さ。
比留間夫妻とごあいさつのあと、さっそく調理に取りかかって頂くことになった。
まずは「自家製スモークサーモン サワークリーム添え」。
そう聞けば、お皿の上には薄くカットされたサーモンが数枚並ぶ、と想像していた。しかし、お皿の上には厚さ1.5cm、長さ20cmほどのサーモンが堂々と1枚。「おぉー!」と思わず声が出た。
ドアを開けて感じたのは「清められた空気」。上品な静謐さ。
比留間夫妻とごあいさつのあと、さっそく調理に取りかかって頂くことになった。
まずは「自家製スモークサーモン サワークリーム添え」。
そう聞けば、お皿の上には薄くカットされたサーモンが数枚並ぶ、と想像していた。しかし、お皿の上には厚さ1.5cm、長さ20cmほどのサーモンが堂々と1枚。「おぉー!」と思わず声が出た。
高級な鮭弁当に入っているようなサイズ。サーモンにはサワークリームが乗り、その上にはシブレットというハーブが添えられて。
インパクト大。意表を突くひと皿なのに、どこか楚々とした印象にも感じられるのは、比留間夫妻の控え目な雰囲気とも重なる。
さっそく、ナイフで切って、ひと切れを舌に乗せる。口の中でふわりと溶けた。サーモンとは溶けてなくなるものだったのか……。臭みはなく、まったく嫌味のない脂が喉の奥に消えた。
次に、サワークリームとともに。うーん、また溶けた。軽めのサワークリームが薫香絡まるサーモンを引き立てる。
「このコクの、余韻をずっと感じていたい」
スモークサーモンを食べて、そんな風に思ったのははじめてだ。
インパクト大。意表を突くひと皿なのに、どこか楚々とした印象にも感じられるのは、比留間夫妻の控え目な雰囲気とも重なる。
さっそく、ナイフで切って、ひと切れを舌に乗せる。口の中でふわりと溶けた。サーモンとは溶けてなくなるものだったのか……。臭みはなく、まったく嫌味のない脂が喉の奥に消えた。
次に、サワークリームとともに。うーん、また溶けた。軽めのサワークリームが薫香絡まるサーモンを引き立てる。
「このコクの、余韻をずっと感じていたい」
スモークサーモンを食べて、そんな風に思ったのははじめてだ。
定番メニューだからこそ料理人の腕が問われる
思えば、一般的なフランス料理店でスモークサーモンが一品のメニューとしてあること自体が珍しいのではないか。
定番であるがゆえに料理人の腕が問われる前菜で、なぜあえて冒険を?
そしてやっぱり、厚みが気になる。
いくつもの「なぜ?」が脳裏で点滅する。
「料理には薄くておいしいものもありますが、うちのスモークサーモンは意識してやわらかく仕上げてあるので、厚めのほうが食べ応えを感じられると思います。口の中ですっと消えていくようなやわらかさを意識しています」
定番であるがゆえに料理人の腕が問われる前菜で、なぜあえて冒険を?
そしてやっぱり、厚みが気になる。
いくつもの「なぜ?」が脳裏で点滅する。
「料理には薄くておいしいものもありますが、うちのスモークサーモンは意識してやわらかく仕上げてあるので、厚めのほうが食べ応えを感じられると思います。口の中ですっと消えていくようなやわらかさを意識しています」
しっとりした脂をゆっくり味わってもらうための、厚み。メニューに載せているのは、比留間さん自身が好きだから。燻製にするのも楽しいのだそうだ。
燻製は、燻製器ではなく、中華鍋のようなサイズの厚手の鍋で。チップはヒッコリーを使っている。
「りんごや桜のウッドチップを使う人も多いようですが、サーモンに酸味が付いてしまう気がするんですよね。マリネがすすむとサーモンが締まり固くなってしまうので、塩は浅めです」
ヒッコリーとは、クルミ科の落葉樹(デニムの生地にあるヒッコリーは、縦じまがこのヒッコリーの木肌に似ていることから名付けられた)。すっきりとさわやかな香りに仕上がり、どんな食材にも合う。
「スモークサーモンはアラカルトのメニューにありますし、おまかせコースの中でもお出ししています。コースで出す順番によっては、薄く切って、違う料理にアレンジすることもあります」
燻製は、燻製器ではなく、中華鍋のようなサイズの厚手の鍋で。チップはヒッコリーを使っている。
「りんごや桜のウッドチップを使う人も多いようですが、サーモンに酸味が付いてしまう気がするんですよね。マリネがすすむとサーモンが締まり固くなってしまうので、塩は浅めです」
ヒッコリーとは、クルミ科の落葉樹(デニムの生地にあるヒッコリーは、縦じまがこのヒッコリーの木肌に似ていることから名付けられた)。すっきりとさわやかな香りに仕上がり、どんな食材にも合う。
「スモークサーモンはアラカルトのメニューにありますし、おまかせコースの中でもお出ししています。コースで出す順番によっては、薄く切って、違う料理にアレンジすることもあります」
40年近く使い続け、手に馴染みきった「サーモンスライサー」
比留間さんが愛用する道具として真っ先に挙げたのは、そのサーモンを切るためのサーモンスライサーだ。
「もう30年以上、もしかしたら40年近く使っているかな。研ぐのは週に1度くらい。サーモンスライサーは柳刃包丁と同じで、刃の片側だけを使って切ります。だから研ぐのも片側だけ。研ぐ以外には、特別な手入れは何もしていません。スモークサーモンしか切らないので、切れなくなるということもないですね」
ブランドは「グレステン」。プロに支持者が多い新潟・ホンマ科学の製品だ。
やわらかいものを薄く切るときは、ひと切れひと切れを引くように切る。右利きの場合、左側から切るのがセオリー(野菜などを切る場合は右側から)。通常の出刃包丁などとは片刃の面が逆になる。刃はしなるほどに薄い。長さも必要で、比留間さんのスライサーは刃渡り約31cm。
凹凸が刃の両面に付いていることで、刃とサーモンの間に空気が入り、やわらかい身が切りやすくなり、切ったサーモンが刃に残らない。
以前はハガネの包丁を使っていたが、なかなか納得できるものに出会えずにいた。
「当時は、ステンレスは切れ味が落ちるという評価でした。しかし、グレステンを使ってからはこれ1本。やっと落ち着きました。ハガネは切る素材によっては変色してしまうこともありましたし、手入れも大変でした」
「もう30年以上、もしかしたら40年近く使っているかな。研ぐのは週に1度くらい。サーモンスライサーは柳刃包丁と同じで、刃の片側だけを使って切ります。だから研ぐのも片側だけ。研ぐ以外には、特別な手入れは何もしていません。スモークサーモンしか切らないので、切れなくなるということもないですね」
ブランドは「グレステン」。プロに支持者が多い新潟・ホンマ科学の製品だ。
やわらかいものを薄く切るときは、ひと切れひと切れを引くように切る。右利きの場合、左側から切るのがセオリー(野菜などを切る場合は右側から)。通常の出刃包丁などとは片刃の面が逆になる。刃はしなるほどに薄い。長さも必要で、比留間さんのスライサーは刃渡り約31cm。
凹凸が刃の両面に付いていることで、刃とサーモンの間に空気が入り、やわらかい身が切りやすくなり、切ったサーモンが刃に残らない。
以前はハガネの包丁を使っていたが、なかなか納得できるものに出会えずにいた。
「当時は、ステンレスは切れ味が落ちるという評価でした。しかし、グレステンを使ってからはこれ1本。やっと落ち着きました。ハガネは切る素材によっては変色してしまうこともありましたし、手入れも大変でした」
長い間、使っていると手にもなじみ、愛着が出てきたという。これ以後スライサーを新しくすることはなさそうだ。
「もし、そうなったとしたら、勘をつかむのに戸惑うというか、違和感を感じるでしょうね」
比留間さんの手になじみきったスライサーは、愛用歴30年以上とは思えないくらい輝いている。
料理を志し、アルバイトで入ったのがホテルのフランス料理の厨房だったことから、そのままフレンチの道へ。19歳で渡仏してパリの3つ星を中心に8年間の修行を経て帰国。会員制レストランに勤務したのち、独立した。
世田谷区用賀で10年間営業し、再びパリヘ。そして、恵比寿で『Le Coq』を開いて10年が経った。
比留間さんの包丁は、肉用が2本、魚用が3本。骨など固めのものを切るのが1本、あと野菜を切ったりするのがあって、計7本。その中でも今回紹介してくれたサーモンスライサーとは、最長の付き合い。
パリ、そして日本と、ともに歩んできた。この道具があってこそ、このお店でしか食べられないオンリーワンの自家製スモークサーモンが出せるのだ。
(中編に続く)
「もし、そうなったとしたら、勘をつかむのに戸惑うというか、違和感を感じるでしょうね」
比留間さんの手になじみきったスライサーは、愛用歴30年以上とは思えないくらい輝いている。
料理を志し、アルバイトで入ったのがホテルのフランス料理の厨房だったことから、そのままフレンチの道へ。19歳で渡仏してパリの3つ星を中心に8年間の修行を経て帰国。会員制レストランに勤務したのち、独立した。
世田谷区用賀で10年間営業し、再びパリヘ。そして、恵比寿で『Le Coq』を開いて10年が経った。
比留間さんの包丁は、肉用が2本、魚用が3本。骨など固めのものを切るのが1本、あと野菜を切ったりするのがあって、計7本。その中でも今回紹介してくれたサーモンスライサーとは、最長の付き合い。
パリ、そして日本と、ともに歩んできた。この道具があってこそ、このお店でしか食べられないオンリーワンの自家製スモークサーモンが出せるのだ。
(中編に続く)
比留間光弘(ひるまみつひろ)
19歳で渡仏し、パリ『ル・ムフレット』『ギィ・キャルトン』など、パリの3つ星を中心に8年半の修行を経て帰国。会員制レストラン『Q.E.D.クラブ』の料理長をつとめ、97年に東京・世田谷に『Le Coq』を開店。08年に恵比寿に移転。右は夫人の真由美さん。
19歳で渡仏し、パリ『ル・ムフレット』『ギィ・キャルトン』など、パリの3つ星を中心に8年半の修行を経て帰国。会員制レストラン『Q.E.D.クラブ』の料理長をつとめ、97年に東京・世田谷に『Le Coq』を開店。08年に恵比寿に移転。右は夫人の真由美さん。
(写真=松園多聞 Matsuzono Tamon)
恵比寿『Le Coq(ルコック)』
夫婦で営む座席数12の小さなフレンチレストラン。ミシュラン1つ星を獲得。東京・世田谷で10年営業したのち、2008年から恵比寿に移転。品よくアットホームな雰囲気に、息の長いファンが多い。おまかせコースは8,000円から。不定休。
夫婦で営む座席数12の小さなフレンチレストラン。ミシュラン1つ星を獲得。東京・世田谷で10年営業したのち、2008年から恵比寿に移転。品よくアットホームな雰囲気に、息の長いファンが多い。おまかせコースは8,000円から。不定休。
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- 石黒由紀子
- エッセイスト。日々の暮らしの中にある小さなしあわせを綴るほか、女性誌やWEBに、ペットや本や映画のリコメンドを執筆。楽しみは、散歩、旅、おいしいお酒とごはん、音楽。近著は『楽しかったね、ありがとう』(幻冬舎) http://www.blueorange.co.jp/yuruyuru/index.htm
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